鬼・妖怪・幽霊・呪い…日本には古くから様々な怪異が伝えられてきました。有名なモノであれば漫画やゲームなどのモデルにもなっています。皆様はその中でも“最強”といわれる日本三大怨霊をご存知でしょうか?
■日本三大怨霊とは
菅原道真・平将門・崇徳天皇の3名を指す言葉。それぞれが死後にもたらした強大な祟りの伝説に対し、畏怖の念を込めてそう呼ばれています。
菅原道真の怨霊
学問の神として知られる菅原道真ですが、かつては世の中を恐怖に陥れた怨霊として恐れられていました。
頭が良く、朝廷に仕えてからもどんどん出世し、文化人として頭角を現していった道真。しかしそれを快く思わない人物に嘘の密告をされ、突如九州へ左遷。子ども4人も島流しとなってしまいます。
その僅か2年後に現地で死去。その後、都には疫病が流行り、道真失脚に関わったとされる人物が次々に死去…。朝廷は道真を恐れ、死後にも関わらず罪を許して階位を与えたり、子どもたちの流罪を解くなどしましたが時すでに遅し。
結果、当時の天皇を含め、道真左遷に関与したほぼ全員が亡くなりました。時は流れ、道真の祟りが忘れられていくと、その天賦の才に注目が集まり、学問の神様として信仰されるようになったのです。
平将門の怨霊
平安時代後期。当時の地方行政は国司と呼ばれる人物が牛耳っており、横領や悪事などが横行。各地の治安が悪化していました。将門の叔父も国司として赴任しており、任期後も居座って武士団を結成しながら勢力を拡大。
そんな折に将門の父の死によって相続争いが勃発します。将門は領地を我が物にしようとした叔父を殺害し、他の国府にも攻撃を開始。民衆は腐った役人を追い払う将門を歓迎し、乗りに乗った将門は強力な武器(日本刀の原型と言われているもの)と騎馬隊で関東八ヶ国の国司を追放し、「新皇」と名乗ります。
しかし朝廷がこれを黙って見過ごすわけもなく、差し向けられた将門討伐軍にこめかみを射抜かれて戦死。見せしめとして歴史上初めてさらし首にされてしまいます。
しかしその首は目を見開きながら夜な夜な叫び、3日目には切断された胴体を求めて舞い上がったとも…。その怨念はすさまじく、後の大蔵省庁舎再建の際に将門の首塚を壊した結果、関係者14名が亡くなったり、壊そうとした重機が横転して運転手が亡くなったりと、近代になっても数えきれない怪異が起こり続けています。
崇徳天皇の怨霊
満3歳という幼さで第75代天皇として即位した崇徳天皇。しかしその後譲位を迫られ、弟の躰仁親王(近衛天皇)が天皇に、自身は上皇となります。ところが近衛天皇は病により僅か17歳で崩御。
その後、後白河天皇が即位したのですが、朝廷は後白河天皇派と崇徳上皇派の真っ二つに分裂し、保元の乱が起こります。崇徳上皇が武力を集め、反乱を企てているという噂を聞いた後白河天皇は軍を集めることを禁止し、上皇側の財産までも没収。
追い詰められた崇徳上皇と左大臣、藤原頼長は挙兵を余儀なくされます。圧倒的な兵力の差から戦に敗れた崇徳上皇は讃岐国に配流。二度と京に戻ることなく8年後に崩御しました。配流後は仏教に傾倒し、書き上げた5つの写本を朝廷に提出。
しかし朝廷はこれを「呪詛が込められている」とし、送り返します。激怒した崇徳院は舌を噛みきり、その血で写本に怨みの言葉を刻んだそうです…。爪や髪が伸び放題となった姿はまるで夜叉の如く。
そんな崇徳院崩御後には様々な災厄が都に降りかかり、白河院に近い人物も次々と命を落としたといいます。
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日本の三大怨霊についてざっくり説明しましたが、どなたも芯が強く、自身の正義を貫いた立派な方々でした。だからこそ、世の中の不条理さにさぞや心を痛め、怨霊となったのでしょう…。
3名を祀る神社や塚を訪ね、思いを馳せるのも良いかもしれませんね!
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