【最後の1枚は本物だった?】世界を巻き込んだ“妖精写真”事件!

UMA(未確認生物)

本日は世界中の人々を驚かせたイギリスでの大騒動、【妖精写真】について語っていきたいと思います。

皆さんは妖精を信じますか?背中に羽を携え、月桂樹の冠を被り、美しい光を纏って宙を舞う…。そんな生き物がいたら、ぜひ見てみたいですよね!

「ファンタジーの中だけでしょ…」と思っている方も多いと思いますが、アイルランドの方々は未だに妖精たちの存在を信じているそうです。

迷信として、おまじないとして、ときには呪いとして…人々の傍に今も生き続ける妖精ですが、実はかつてその姿が写真に収められ、大騒動に発展したことがあったんです!

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妖精写真って?

1917年、コティングリー村に住む少女エルシー(16歳)と従姉妹のフランシス(9歳)が、父親から借りたカメラで妖精が映った写真を撮影!その3年後にも新たに3枚の写真を撮影しています。

あのコナン・ドイルも驚いた!

1920年にエルシーの父が『シャーロック・ホームズ』シリーズで有名な作家アーサー・コナン・ドイルにこの写真を届けると、ドイルはこれを写真鑑定に掛けます。すると専門家は“この写真は細工の無い本物である”と断定!ドイルはスグにこの写真を雑誌に発表しました。

小さな田舎町から世界へと拡散!

ドイルがこの写真を本物であると断言しただけでなく、神智学者のエドワード・L・ガードナーまでもがこれに賛同したため、肯定派と懐疑派を巻き込み、この事件は大騒動へと発展します。(二人は「子どもにトリック写真が作れるはずがない!」と思い込んでいたようです)

科学者や女性写真家たちが論争に参加!

「妖精の輪郭が全くボケておらず、静止しているため作り物である」

と明言する科学者や、彼女たちの写真と非常に似たトリック写真を制作し、発表する女性写真家まで現れました…。

しかし事件はいつの間にか忘れ去られ…

1930年、一番の広告塔であったドイルが死去したことにより、騒動はいつの間にか沈静化していきました。ドイルはどんなに懐疑派たちの批判にあっても、死去する最後まで彼女たちの味方であったといいます…。

実際は捏造だった…

幻想的な5枚の写真でしたが、実際は子どもたちによる捏造だったことがわかっています。

  • エルシーは当時写真館でアルバイトをしており、写真の知識をもっていた。
  • 写真に写った妖精の姿と酷似した絵本が発見された。
  • 1965年にエルシーが捏造であったことを認めた。

こうして妖精写真騒動には幕が下りたのでした…。

でも最後の1枚だけは…

これらの写真は絵本を模写して描いた妖精のイラストを切り抜き、キノコや草にピン止めして撮影するという非常に古典的な内容でした。しかし少女の一人、フランシスはこうも話しています。

「妖精と一緒に遊んでいることを大人達は信じてくれなかった。だから証拠としてトリック写真を撮った。仕方なかった」

「でも5枚目の写真は撮影した記憶がない…」

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いかがでしたでしょうか?少し不思議で、ちょっと切ない妖精写真のお話…。確かに写真は捏造だったかもしれませんが、幼くて素直な彼女たちが妖精と遊んでいたことは事実なのかもしれませんね(*^-^*)

※下記URLにて詳細な記事が掲載されております!

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引用/恐怖体験や殺人事件都市伝説ほかの駄文(高見 梁川)

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